フィギュアスケートの選手に向けられる「応援」は、その技術に対して向けられるのか、あるいは「アイドル」を見に行く気分なのか、あるいはその両方なのか、人それぞれフィギュアスケートに対する考え方は違うと思います。テレビでフィギュアスケートを先に認識して選手に関心を持つということ、あるいは選手を先に認識してから、フィギュアスケートに興味を持つ、二つのカテゴリーがあると思います。皆様はどちらでしょうか、深入りしていきましょう。
まず、東洋人は人の魅力に引き付けられやすい傾向が高いように見受けられます。一方で西洋人は、現実的な部分を圧倒的に大切にしていて、「自分の所有物にならなければ意味がない」と思う派が多いということですね。日本では、「リアルが充実している」という言葉がありますが、西洋人からしてみると、「それが普通じゃない」と思われるのです。なので、日本は、より仮想空間を大切にする文化があるような感じがします。なので、西洋人は個性的であると想像する日本人が多いのですが、実は日本人の方が圧倒的に、個性が強いと思います。
フィギュアスケートに関しても同じことがいえると思います。日本を含め、韓国や東南アジアでは、選手の人間的な可愛さや魅力に惹かれてファンになってしまう傾向が強く、技術は二の次だったりします。もちろん例外はありますが。一方で、西洋では、テクニカル的な部分や、芸術性ですね、そういったフィギュアスケート本来の魅力に惹かれて、興味を持たれる方が圧倒的に多いように僕には映りました。
つまり、西洋の場合、「羽生結弦選手」=「技術がすごいからファンになる」と、アジア圏の場合、「羽生結弦選手」=「かわいいからファンになる」といった傾向がみられるように思います。先ほども言いましたが、例外はありますし、これがすべてではないですが、対外的には、納得できそうな部分もありそうな気はしますね。
しかし、最近は、そういった羽生結弦選手がかわいいからフィギュアスケートに興味を持ったことで、ほかの選手も見るようになり、フィギュアスケート自体に心から興味を持ち、知らないうちにフィギュアスケートオタクになって、人生の生きがいになったという方をこれまで多く見ていると、この限りではないと思うこともあります。フィギュアスケートが好きである形は様々であり、それぞれ素敵なフィギュアスケートライフがあるのかなーと最近僕は思い始めています。